想像してみてください。1,000ピースのジグソーパズルから900ピースが欠けた状態で、完成を目指す場面を。これは、企業がScope3の排出量に取り組む際に直面する課題をよく表しています。Scope3には、サプライチェーン全体にまたがる間接的な排出量が含まれます。たとえば、小麦を育てる農家から、完成したビスケットを店舗に届けるトラックまで。あらゆるプロセスが対象です。
Scope3の排出量は、企業全体のカーボンフットプリントの70〜90%を占めることが一般的です。しかし企業がサプライヤーにデータ提供を依頼しても、実際に回答があるのは25%未満にとどまるのが現実です。結果として、企業は不完全な情報に基づいて重要な経営判断を下さざるを得なくなっています。
課題は、単に数値を収集することではありません。複雑なビジネス環境において、排出量報告は多くのサプライヤーにとって「追加の事務負担」に過ぎず、優先度の低いタスクと見なされています。こうした状況で求められるのは、信頼関係に基づいたエンゲージメントになってきます。欠けているピースは「真の関係性」です。どれだけ高度なシステムやツールを導入しても、人と人との信頼がなければ、排出量データの精度は上がりません。技術だけでは、本質的には「人間関係の問題」を解決できないのです。
排出量報告の現状
排出量報告をめぐる規制環境は、近年劇的に変化しています。英国企業を例にとると、現在、Streamlined Energy and Carbon Reporting(SECR)、気候関連財務情報開示タスクフォース(TCFD)の推奨事項、そして欧州で事業を展開する企業を対象とした企業サステナビリティ報告指令(CSRD)や炭素国境調整メカニズム(CBAM)ど、複雑に絡み合う要件への対応を迫られています。
これらの枠組みの多くは、Scope3排出量の重要性を一層強調しています。特に食品・飲料業界では、Scope3の比率が非常に高く、農業生産がカーボンフットプリントの大部分を占めています。そして今、明確になってきているのは、これは個々の企業の問題にとどまらず、業界全体が直面する構造的な課題であるということです。多くのサプライヤーは、異なる顧客企業からほぼ同様の排出量データ要求を複数受け取っており、その結果、不要な重複と回答品質の低下が発生しています。
CDP(旧・カーボン・ディスクロージャー・プロジェクト)の調査によると、企業がサプライヤーの排出量データを収集する際に直面する主な課題は、以下の4つです:
- データ要請に対するサプライヤーの応答率が極めて低い
- データの品質や算定方法に大きなばらつきがある
- 報告形式が統一されておらず、混乱を招いている
- 特に中小サプライヤーにおけるリソース不足が深刻
これらの課題の背景には、企業が排出量データの収集を協働的な関係構築ではなく、単なる技術的なタスクとして扱っているという姿勢があります。本質的な課題は「データ」ではなく、信頼と連携の不足にあるのかもしれません。
従来のアプローチが機能していない理由
多くの企業は、Scope3排出量データの主な収集手段として、年次のサプライヤー調査をデフォルトで採用しています。しかし、こうした従来のアプローチには限界があることが、ますます明らかになってきています。サステナビリティに関するコンサルティング会社や業界団体の調査では、「調査疲れ(survey fatigue)」の深刻化が大きな課題として指摘されています。特に複数の大手企業と取引のあるサプライヤーは、毎年多数のサステナビリティ調査を受けており、似た内容を異なる形式で何度も提出することが求められています。この事務的な負担は、サプライヤーの協力を妨げる大きな障壁となっています。
さらに、回答が得られた場合でも、データの透明性に課題が残ることが多くあります。企業側がサプライヤーから提出された数値について、算出方法や正確性を理解しないまま受け取っているケースが多く、その結果として、データの検証や他社との比較が困難になるという問題が発生しています。また、サプライヤー側の技術的な知識や体制の不足も大きな課題です。業界調査によれば、多くのサプライヤー、特に中小企業は、排出量を正確に算定するための専門知識やリソースが不足しています。
CDPの2024年の報告書では、サプライチェーンからの排出量(Scope3)は、企業の直接的な排出量(Scope1および2)の平均26倍に上るとされています。
これは、正確な排出量データを確保するためには、サプライヤーの巻き込みと支援が不可欠であることを示しています。
さらに重要なのは、従来型のアプローチでは、企業とサプライヤーのインセンティブが一致していないという構造的な問題です。サプライヤーの立場からすると、排出量報告は自社にとって明確な利益が見えにくい行政的業務に映りやすく、その結果、報告の質を高めるための投資や取り組みが後回しにされる傾向があります。
効果的なサプライヤーエンゲージメントの重要な要素
サプライヤーとの排出量エンゲージメントを成功させるには、まず基本的な事実を認識する必要があります。それは、すべてのデータポイントの背後には、「対応すべきかどうか」「どう対応するか」を判断する人がいるということです。この人間的な側面に目を向けることが、サプライヤーエンゲージメント成功の鍵となります。
信頼は、効果的なエンゲージメントの基盤です。サステナビリティ・ネットワークの報告書によれば、企業の意図や取り組み方を信頼しているサプライヤーは、自社の運営に関する機密性の高い情報を進んで共有する傾向が高いとされています。この信頼を築くには、一貫性、透明性、そして長期的なパートナーシップへの真摯なコミットメントが不可欠です。
たとえば、Waitrose & Partnersは「Farming for Nature」プログラムを通じて、このアプローチを体現しています。同プログラムでは、農業サプライヤーに対し、持続可能性の向上と財務的な持続可能性の両立を支援するための個別支援、専門指導、革新的なツールを提供しています。
また、価値の創出も重要です。サプライヤーは、単なるコンプライアンス対応を超えて明確なメリットが見える場合に、より積極的に取り組む傾向があります。
たとえば、Innocent Drinksは「Farmer Innovation Fund」を設け、農業サプライヤーが土壌の健康や生物多様性、CO2削減を目的としたプロジェクトに取り組めるよう助成金を提供しています。
シンプルさもまた、エンゲージメントの成果に大きな影響を与えます。調査によれば、不要なデータ項目や過度に複雑な要求が増えるほど、サプライヤーの回答率は低下します。限られた時間の中で対応を求められるサプライヤーに対しては、簡素で直感的なプロセスの設計がはるかに効果的です。
さらに、言葉の使い方や知識共有の工夫も欠かせません。「排出係数」などの専門用語は、サステナビリティに不慣れなサプライヤーを遠ざけてしまう可能性があります。
その代わりに「燃料使用量」や「電気消費量」など、より具体的で分かりやすい表現を用いることで、協力を得やすくなります。
同様に、知識のギャップを埋める取り組みも重要です。たとえば、Sipsmithは主要サプライヤーの過半数に対し、Scope1およびScope2排出量の理解を促進するためのリソースを提供し、データ品質と理解度の向上を図っています。
そして何よりも重要なのは、サプライヤーを単なる「データ提供者」ではなく、「パートナー」として扱うことです。プロセス設計への参加、フィードバックの収集、提供されたデータがどのように意思決定に活用されるのかを明示することで、持続可能な協働関係が築かれていきます。
実装のためのベストプラクティス
すべてのサプライヤーが、カーボンフットプリントに同じ程度の影響を与えているわけではありません。カーボン強度、支出額、戦略的重要性、関係性の成熟度といった指標に基づいてサプライヤーを戦略的にセグメント化することで、企業はより大きな効果が期待できる領域にリソースを集中させることが可能です。調査結果でも、すべてのサプライヤーを一律に扱うより、ターゲットを絞ったアプローチの方がはるかに効果的であることが確認されています。
エンゲージメントを成功させるうえで、コミュニケーションとインセンティブの設計は欠かせません。一方的にアンケートを送るのではなく、先進的な企業では、サプライヤーがフィードバックを返したり、プロセスの形成に関与できるような双方向の対話を構築しています。
また、インセンティブはコンプライアンス遵守にとどまらず、データ品質に応じたビジネス上のメリット、認知度向上、排出削減への共同取り組みなど、より実質的な価値の提供が求められています。排出量への取り組みをサプライヤー関係全体に組み込むことで、より深いコミットメントを引き出すことができます。
カスタム開発のツールであれ、サードパーティのソリューションであれ、テクノロジープラットフォームの適切な導入は、データ収集の効率化に貢献します。その際に重要なのは、サプライヤーの負担を増やすのではなく、負担を軽減する仕組みを提供することです。
また、プログラムの効果測定においては、単なる回答率だけを指標にするのは不十分です。優れた取り組みでは、データの完全性や品質、サプライヤーの満足度、データが意思決定にどのように反映されているか、そして最終的に排出量がどれだけ削減されているかといった要素を総合的に追跡・評価しています。
最も効果的な組織は、短期的な成果と長期的な能力向上の両方を見据え、チェックリストをこなすだけで終わらせるのではなく、持続可能な変化の実現を目指しています。
改善のためのロードマップの作成
サプライヤーエンゲージメント戦略の策定は、まず現在の取り組みを正直に評価することから始まります。これには、以下のような要素が含まれます。
- 組織全体における既存のサプライヤーとの接点の把握
- 既存プロセスに関するサプライヤーからのフィードバック
- 業界のベストプラクティスとの比較
- 現状のギャップと改善の機会の特定
こうした評価をもとに、以下の項目を網羅した改善のフレームワークを構築することが可能です。
- サプライヤーのセグメンテーション戦略の見直し・精緻化
- 各セグメントに適したエンゲージメント手法の策定
- 参加を促す明確な価値提案の提示
- データ収集ツールおよびプロセスの簡素化
- サプライヤー関係管理に必要な社内能力の強化
- 継続的な改善を支えるフィードバックメカニズムの構築
実行段階においては、現実的なフェーズ分けが効果的です。
- フェーズ1(3~6か月):クイックウィンの獲得およびパイロットプログラムの実施
- フェーズ2(6~12か月):施策の拡張と組織的な能力構築
- フェーズ3(12か月以上):継続的な改善と業界内での連携・標準化の推進
進捗を追跡・評価するためには、以下のような指標が重要です。
- セグメント別のサプライヤー応答率
- 提出データの完全性および品質指標
- サプライヤー満足度スコア
- 排出量データの社内活用状況
- 意思決定および戦略への影響の有無
このような構造的かつ段階的なアプローチにより、単なる報告対応を超えた、持続的なサプライチェーン全体の脱炭素化が実現できます。
まとめ
気候変動に関する規制が強化され、ステークホルダーが一層の透明性を求める中、サプライヤーの排出量データは、もはや「任意」ではなく「必須」へと進化しています。成功を収める企業は、サプライヤーエンゲージメントを単なるコンプライアンス対応ではなく、戦略的な投資と捉えています。
この取り組みには、規制遵守を超えた明確なビジネス上の意義があります。サプライヤーとの強固な関係は、コスト削減やCO₂排出削減の新たな可能性を生み出します。また、より精度の高いデータにより、製品設計や調達戦略、さらにはビジネスモデルに関する意思決定の質が大きく向上します。
包括的な排出量データの収集を実現するためには、忍耐・継続性・そしてパートナーシップが不可欠です。サステナビリティ戦略の中心にサプライヤーエンゲージメントを据えることで、排出量報告の精度向上だけでなく、サプライチェーン全体の強靭化にもつながります。
サプライヤーエンゲージメントのアプローチを見直す準備はできていますか?
まずは、自社の現在の取り組みを客観的に評価し、優先すべきサプライヤー関係を明確にすることから始めましょう。より良い排出量データへの道のりは、より良い対話から始まります。当社チームまでぜひお問い合わせください。データ品質の向上、排出量削減、そしてサプライヤーとの関係強化に向けた最適なアプローチをご提案いたします。